HETEROCHROMIA
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云うならば春の予感

アカデミックシネマをじっと見ている女がいたから声を掛け、20ペソを握らせた。紙幣がカミロだったので、一晩左瞼を貸してくれるという。

ニンニクを15片とその重さの倍のショウガを擂り、見合う分のナンプラーで左腕をマリネした。
あとは簡単な質問をする。答えは2つだけ。ムネならば、左目を1つパチリとす。モモならば右目を2つだ。
「愛は脳にある?」左目を1つ
「スピードスケート選手の魅力とは?」右目を2つ
ムネ、モモ、モモ、ムネ、モモ
1,2,2,1,2
そこには規則がそのうち伴って、治験とす。
意義はない。考えるだけ無駄な躾が世には溢れている。昼間の続きで夜を見るようなもの。それは別個でまるっきしの落とし穴だ。そこから上を眺めては言葉の分散に集中し、異常な左腕を全うする。それが賢明ってもんだ。
忘れてはならぬ。グーグルとケンタッキーの求人で迷うようなもんだ。
古い田舎の電車を思い出す。忘れたくないがそろそろ眠りに就きそうだ。

同じ価値観を持っても、他社の目線は体に馴染まない。悲しみと苦しみがあるから共感できる。
彼女に左瞼を返す。
彼女は素っ気なく尋ねる。
「どうだった?」
「悪くないね」
「だろうね」
僕には未知の夜だったが、彼女の映像は脳裏に焼き付いているので何にも問題はない。強がるのは男の恥とは思わない。