ある朝に子牛の尻にキッスをした生後2か月、とてもうまい奴。
それをたまたま見ていたひし形のリボンを付けた娘は声をあげて笑って逃げた。
僕は口封じのため、娘を追っかける。すぐに追いつき、後ろから突き倒した。
そうだ。僕は路頭に迷い、子牛一頭を買い田舎にやってきた。笑われるのはもう嫌だ。
仰向けに倒れた彼女はまだケタケタと笑っている。僕は何もできない。無力に等しい。彼女は笑うのをやめた。
「キッスをしておくれ」彼女は言う。
牛にしたこの口でできるかい?笑わなくなった彼女は鋭い目つきになった。起き上がり、佇む僕の肩を払い、牛を追って頬を寄せた。どこかで見たことのあるような幻の光景だった。
唾を吐いた。精いっぱいだった。
吐いた唾は泥水に着水し、やがてひまわり畑が生まれた。
暮れに来た、ミカン畑に興味を持つクロアチア人が、ひまわり畑と美しい娘と題して写真を世界にアップした。
彼女は村おこしに駆り出され、村の爺様から寵愛を受ける。僕の前を通るときには冷ややかな目で僕を見る。彼女はひまわり畑の生みの親が僕だと知っている。その事実は何の役にもたたない。それでも僕はビワハゴロモが美しいと確かに思う。
僕は牛とキッスをしては、そこら中に唾を吐く。そこにはひまわり畑が生まれる。ビートルズの音楽はどのシーンにもあって心地が良い。彼女はその光景を決して美しいとは思っていない。その狭い世界の女神を演じているにすぎない。よそものはそれを知っている。彼女は知っている人物がいるということを知っている。
ある日、僕は彼女に南京錠を付けた。彼女はそれを首につけた。爺様たちは気取ったふりをして「クールだ」とふざけた言葉を使った。僕は笑った。彼女にキッと睨まれる。クロアチア人は分かった風で写真を撮り続ける。田舎に帰ったらいじめられっこ。だから素晴らしいと思う よ。
彼女は深夜になるとうちの畑で南京錠を解く。昼間、僕は喋れない。夜な夜な彼女にひまわりを植え付ける。
彼女は僕を太陽に例える。何とも浅はかだが、その表現が好きだ。夜は朝になり僕は多少疲弊する。
悪くない?太陽は一つでいい。彼女は元気に昼間に僕の牛に餌をやる。
何が言いたいかって?ただのイニシアチブの話だよ。