HETEROCHROMIA
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ウディアレン似の鷲鼻のババァ.

女優のおんな

女優は外食を好む.私物化される時間に俗世と途切れようものの、女優はひた隠しすることなく、その時間を演じること、セルフプロデュースに費やす。

新進気鋭の若手時代を経て、流れに押し出されることなく、彼女はやむなくして女優となった。端麗な佇まいには気品があり、自らが下民であることをその場にいる人間は改めて思い知ることとなる。決して頭を垂れることも、ましてや右手を差し伸ばすことなんてできない。
給仕は女優であることを忘れ、ただ務める。決して気取らぬ彼女に最高のおもてなしを演出するまでだ。滞りなく進む時間には淀みがない。マネージャーはタクシーを呼ぶ。終わりかける其のころに、給仕は自我を覚える。女優の行き先を考えては俗人だとここでまた改めて知ることとなる。その瞬間の悲しみに似た表情が女優は好きだ。決して体現できぬ得もしえぬ感情。マネージャーは運転手に目的地を告げている。背中でそれを知る刹那、女優は給仕に名刺を渡す。女優は夜と化す。

プライベート用と思わしきその名刺には連絡先がある。電話は誰もかけることは出来ない。出ぬことを知っているし、よもやかからぬ現実には夢が無限になくなってしまう。給仕は社交辞令を考慮して「今晩はありがとうございました」とだけメールを送る。
ホテルのサイドテーブルで携帯が鳴る。
それは何もなかったかのように一日が終わる。あるものには思い出となり、昇華され忘れる。

思い出したのはどちらのほうからだったか。給仕がメールに気が付いたのは仕事終わりのことだった。
「今晩は。井沢ホテルに泊まっています。1012号室です」
いかにも女優的な一方的なメールであった。行くも行かないも変わりはない。ただ一度でも彼女と同じ空気を吸った者にとってはいとも容易く従順な言伝だ。想像性の問題だ。
高揚感と緊張感をもってフロントを通過する。エレベータを待つ男。見送るコンシェルジェ。時間の経過を見守る女優。誰しもに違和感があるからこそ堂々していられる。場違いの色眼鏡なぞ致し方あるまい。
悪い冗談を想定できると、ともに冗談を言える関係性を持つ。
ドアがノックされる。女優は中からひょっこりと顔を出す。
「こんばんは」
その境界線に男が躊躇すると、女優は手を引き素早くドアを閉める。
「突っ立ってちゃダメでしょ」
女優は女優である。タイトなスカートに白のタイツ。赤のジャケットは男のみすぼらしい皮のジャンパーすら引き立てた。男はまた女優であることを忘れる。その佇まいに女優は小さく笑みを浮かべる。その笑みは思わぬ反射となり、男に言葉の自信を持たせた。
「外で一度会ったきりなのに密室で二人なんて不思議です」
「そうね」
女優はテーブルに置かれたフルーツの盛り合わせからシャインマスカットをもぎ取り男の手に乗せる。そうしてベッドに腰を掛けた。」
「皮ごと食べれるよ。あなたは役者の目をしている。私の稽古を手伝って。分かるでしょ?相手を探すのも楽じゃないのよ。それでもなりふり構わずするべき時があるの。今がそう」
男の頭には女優のポスターが浮かんだが、口には出さなかった。
「たすけて」
男はマスカットを食べる。とても甘く、少しだけ渋かった。女優はカバンから台本を取り出し、付箋のついたページを男に渡した。小さな深呼吸をするとスイッチが入りセリフを読んだ。そこには確かに女優がいて、また現実から遠ざかった。拙いながらも男はセリフを読まずにはいられなかった。そうして芝居が始まった。繰り返し、繰り返し・・自我がなくなるほどに演技を続ける。やがてホテルの部屋は消え、同棲するカップルの怠惰な光景がそこにはあった。倦怠期を迎え化粧品が床に転がるような家だ。だが、それも唐突に終わる。
「ありがと。今日はこれでいいわ。おなかすいた?何か食べる?」
「・・いいえ。結構です」
「そうね。もう遅いわね」
もうすぐ朝だった。女優は一つ伸びをした。その時間に起きる女の行動としては必然に思える。
「これ、飲んでいいですか?」
男はフルーツの隣にあった少しだけ減ったブランデーを指さした。
「もちろん、好きなのね」
「プライベートですから」
男はグラスに注ぎ、一口で口に入れ、しばし余韻を楽しんだ。
「楽しかったです。ありがとうございました」
「こちらこそ。またお願いしますね。タクシー呼ぶよ」
「いいえ、バイクで来ましたから。次があるならばバイクはやめます」
「そうだね。それがいいよ。ご飯も先に用意しとく」
「それは楽しみです」
男は部屋を出る。そうして世界は幾つもに分裂していく。ただ、男とコンセルジェはもう同じ世界にいた。

女優は言葉通りことあるごとに男を読んだ。その佇まいに変わりはなく、それが女優なのか、それともそういう気分の時に呼ばれているのかは男には分からなかった。ただ、演じるまでだった。部屋には豪華な料理がいつも用意してあったが、二人ともほとんど口にすることはなかった。カップルの部屋もそうだし、海辺や路上、明治時代の屋敷にはそれは不釣り合いだった。
二人はいろんな場所をともにした。異なる二人であり、ただのホテルの一室でもあった。
男は変わらずに働いた。彼女が出るテレビも映画も見なかった。調べることもしなかった。全ては演技の邪魔となる。

「こんばんは」
男にはもうその部屋は慣れ親しんでいた。ぶどうをつまみ椅子に腰かけた。
「麗子さん、それ初めてあった時と同じ赤い服だね」
「そう?そんなに違う服ばかりは着てられないよ」
「そうね・・・そうかもね。今日は何をするの?」
女優は台本を男に渡し、ページをめくる。いつものようにキャラクターとあらすじをざっと説明する。
「今日は尊敬する先輩が若い時に演じた話よ。戦争のころの話。私にはお兄ちゃんがいて、あなたはその友達よ。三人ともに仲はよかったの。それでいて、二人とも恋仲にあるの。戦争が終われば兄に報告して一緒になる約束をしているんだけど、兄は死んでしまう。戦争はおわり、あなたは帰ってくるんだけど、自責の念が強くてね。私は兄が死んで悲しいのだけれど、あなたが帰ってくるので幸せもあるのよ。そうしてあなたは家に報告にきて、その夜やっと二人きりになるの。大丈夫、あなたは私の家族に好かれているわ」
「夜の話なんだね」
「そう、今と一緒よ。じゃあ始めよう」

〇 坂田の部屋 (淳平の部屋)
紀子、部屋を尋ねる
「坂田さん。入ります」
坂田は返事をしない。紀子、部屋に入る。坂田は背中を向けたまま黙って座っている。紀子はその隣にちょこんと座る。
「坂田さん、おかえり」
「あぁ、ただいま」
「どうして、そんなにふさぎ込んでいるの?」
「そりゃ、そうだろう。本当は三人でこの部屋にいて、真っすぐ君の目を見て喋っているんだよ。何度も何度も頭にはその光景が浮かんだよ。それが見ろ?真っ暗だ」
「電気を点けなさい」
紀子は立ち上がり、裸電球をともす。坂田の哀れな顔がうつる。もう、涙も出ない」
「ほら、明るくなった。笑ってよ」
「笑えないよ。さっきだってそうだ。なぜ、皆笑える。淳平がいないんだぞ」
「あなたがいるからでしょ。皆、散々泣いたわ。あなただけじゃない。もう、戦争は終わったの。だからといって誰も兄は忘れてはいない」
「自分らだけ幸せになれと」
「そうするしかないじゃない。人の幸せを妬む兄だと思って?」
「いいやぁ。ただ、出来ないだけさ。いろんなものを抱えこんじまった」
紀子、後ろから坂田をぎゅっと抱きしめる。
「ダメだよ、紀ちゃん・・・」
「意気地なし」
紀子は坂田に口づけをする。
「いやいや、そんな台本ないじゃん。麗子さんびっくりした」
男ははっと我に返った。ホテルの部屋であった。
「アドリブよ。アドリブ。このままじゃ二人可哀そうすぎるもん」
「監督に怒られるよ?」
「監督?監督は私よ。続けるよ」
「続ける?もう一回するの」
「飛ばしてもいいけど」
「いや、別にいいけど・・・」
台本はなくなる。暗い部屋へと戻る。どこかでは家族が寝ている。
「坂田さん、幸せを私に下さい」
「紀ちゃん」
坂田は紀子を抱きしめ、再び口づけを重ねる。二人は抱き合い、ベッドに倒れこむ。女優のふとももがあらわになり男の腰元をきゅっと締め付ける。男はもう一度口づけを迫る。女優は首をぷいっと横に向け拒む。足には力が入ったままだ。
「ダメ。お父さんが起きちゃう」
男は俯き、ため息をつく。しばしの間ののち猛り、女の量の手を強く押さえつけ、パッと目を見開きこぼれる様に言葉を吐く。
「そりゃねぇんじゃねぇの。待ったわ。大分待ったわ。火を点けられりゃそりゃ我慢は出来ないわ」
男は女の腕を抑えながら、ベルトを外し、ズボンを下ろす。女は足をばたつかせ抵抗する。
「やめて、お願いやめて」
女は男に懇願する。
「じゃあ、やめる」
男はすっと力を抜きベッドに腰を掛け、ズボンを履く。
「えっ?」
男は振り返り笑って言う。
「ビビった?アドリブだよ麗子さん。アドリブ。怒った?監督さん」
女優は男の背中に手を回す。
「冗談よ、坂田さん。ただ、夜だよ。あんまりうるさくしちゃダメよ」
男は草臥れてしまったようで、両の肩を落として反応を示さない。そこに生気を与える様に女は筋の筋に沿って指で撫でていく。上下に何度も何度も力を変えて・・。男はゆっくりと女のほうを振り返る。生意気そうな女優の顔があった。男は小さく笑うと、女の手を力強く搾り上げた。手早くベルトを使い、女の両手を縛り上げた。女優は一瞬表情が変わるが、状況を続ける。
「坂田さん、乱暴はよしてって」
「紀ちゃん。戦争帰りだよ俺は。優しさなんか忘れちまったよ。俺の隊の弟分はそれでなくなったさ。負傷兵なんかに優しくしやがって。撃たれたよ。目の前で脳みそが飛び散ったんだ。あんなに可愛い顔をしてたのに。そりゃ見るも無残だ」
「坂田さん・・・」
「優しいとか幸せだとか、俺にはもうよく分からないよ。夜だぜ紀ちゃん?頭に血がのぼっちゃ考えられないんだ」
男はベルトの手にさらに力を加える」
「痛いよ、坂田さん」
「戦争は終わっても、被害者はいなくならないんだよ」
男は女のスカートを力強く下ろした。少し恐怖の混じる女の顔を見てから、頭を下ろし、真っ白なふとももをゆっくりと舐めた。
「ちょ、ちょっと待って。もっぺんタイム。・・タイム。いや、いいや続けて坂田さん」
女の表情に覚悟が入った。男は顔を上げ、女の腕を持って立ち上がらせた。女の後ろに回り、二人は姿見の前へ立った。
「なぁ、きれいな顔してんな。いい匂いもするなぁ。真っ白で手入れの整ったすべすべの肌してんなぁ。それに比べそれに触れてる俺の体はなんだ。ボロボロの体に脂ぎった匂い。金もろくになければ、人生も見えねぇ。そうして自堕落になったどうしようもない人間。そんな俺に今、お前は触られてんだよ。あれだけ、苦労して手に入れたこの素晴らしい体をただ生きてきただけのロクでもない人間に触れられてる気分はどうだ?」
「どう?」
男はベルトの逆の手を下ろし、下着の上から女の恥部を弄る。
「どうだって?あんたいい面してんじゃない」
女の顔に恥じらいはなく、それはまさに女優の顔であった。
「セックスくらいはいくらでもくれてやる。あなたの時間をもらってる対価はご飯とお酒くらいじゃ足りないでしょ?体くらいはいくらでもくれてやる。下種でも貴族でも。それよりもいいじゃない。私にも対価価値はあったてことよ」
「へ?どういうこと?」
男は手を止めた。女の両手はブラんと下がった。
「もうこれとって」
男は素直に従った。
「反応しなかったね。私じゃ興奮しなかった?」
「まさか?逆だよ。演ってはいたものの、君が女優であることを忘れられなかった。畏怖だよ」
「そのバランスが大事。私も怖かった。そのくらい本物だったけど、それが分かって私は冷静でいられたんだよ」
「はぁ?褒められてるんですか?」
「そうよ。そう。最高。私の相手役やって」
「やってんじゃないすか、ずっと」
「そうじゃないの。新しい作品があって相手役を決める権利が私にはなくてね」
「冗談でしょ?」
「まさか。最初に言ったでしょ、あなたは役者の目をしているって・・」
「じゃあ鍛えられてたんですね」
「そうね。そういうこと。でも、あなたがものにならなくても私の練習にはなっていたよ。でも結果は最高でしょ。やってくれるよね」
「まぁ、断れないですよ」
「あら、不満そうね。対価価値が欲しいの?続きをやる?」
「馬鹿いってらぁ、酒で十分ですよ。愛がなきゃ意味ないよ」
女優はグラスにブランデーを注ぎ、男に手渡す。
「愛はあるでしょ」
「本当に?」
「本当よ」
「まぁ、いいか」

二人はスクリーンの中、二人だけにでない演技を多くの者に捧げた。男は仕事をやめ、役者として生計を立てていくこととなった。二人はたまに会食をする。もう、演技のレッスンは必要なく、部屋の中を知るものは誰もいない。

1026号室。部屋がノックされる。中からは男がひょこっと顔を出す。優しく手を引っ張る。
「早く入りな」
ピシッとアイロンがかけられたシャツとスーツがハンガーに釣られている。外には蹣跚と輝く東京の空がある。
「不思議です。二度目でこんな光景なんて信じられないです今」
若い女優志望の田舎娘は呆然と立ち尽くしている。ソファーに足を組み腰かける男は優しく声をかける。
「まぁ、座りなよ。フルーツでも食べて」
女はサイドテーブルのフルーツからシャインマスカットを一つ手にして口にする。