HETEROCHROMIA
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樫村には愛が足りない

吉田はロクな客も来ない店でバーテンダーをしている。名ばかりのバーで、それは感受性豊かなガキ共がオムライスばかりを食べている。カウンターには誰も座らず、ウィスキーのヴィンテージ化は進む。「窓でもあれば」と連日のようにため息をこぼす。
仕事終わりに飲みにいこうともどこも同じ顔ばかりそれももう飽きた。吉田はいい加減な夜に別れを告げ、深夜のスーパーが日課となった。街よりも部屋が夜となる。カラアゲにイカカラ、自重なくビールを流し込む。スーパーと家の間は誰にでもある時間で、誰にも知られない時間でもある。ただ、自転車は目的地にやがて達する。

深夜のスーパーはどこかの社会主義国家のようなもので、そこで働くものは活かされているにすぎない。レジのおばちゃんは「いらっしゃいませ」を繰り返し、毎日レジ袋に割りばしを入れようとする。その行為はおばちゃんだけに限らず、後ろのレジの姉ちゃんもきっと同じだ。不慣れな学生の兄ちゃんはこんな簡単な仕事を覚えず、じじいに30%の割引を催促される。それにもすぐ慣れるだろう。客にしても変わりはない。皆、夜を諦めたものばかり。帰り道に運命を求めようとも、レジ袋がある限りそれは起こらない。たまのカップルが外のボリュームのまま店内で喋り、二つの世界に風穴を開け、人々は寂しさを知る。
そんな日は公園に立ち寄り、ビールと唐揚げをベンチに広げる。犬の散歩と、走っている老人を見てはにやにやする。朝にはまださすがに早すぎる。
日常には自らにない非日常を感じるからこそ人生に映えたりする。帰り道に馬鹿が路上で寝ている。うちの店にも顔を見せる客だ。うつぶせで缶のお茶割を握ったまま口からよだれを垂らしている。両耳にイヤホン、ポケットからは小銭が落ちている。自転車を止め、コンビニでお茶割を3つ買ってくる。起きたら一つやろう。彼の横に腰をかけ煙草を吸う。向かいにはこの町の高級スナックが集まるマンションがある。クラシックなレンガ作りのマンション。その門をくぐり見送りをする華やかな娘たちはこちらを見向きもしない。うつぶせで倒れている男が目の前にいるにもかかわらず、彼女たちの瞳にはじじいしか映らない。2つの缶を飲み干した。彼は寝言を言っている。残りの一つを、握りしめる彼の空き缶に乗せた。吸殻はマーキングだ。彼と同じように僅かな夜がこれから始まる。

とある日、レジにはこの時間、この場所に見合わぬ若い娘がいた。巻き髪の褐色の毛。しっかりとメイクをしている。なるほど、道理で列が長かったわけだ。いつもの如く、惣菜から延びる端のレジに並んでいた。酒の棚が見切れると、他のレジはさほど混んではいなかった。近づく彼女をまじまじと見る。まだレジまでは二人いる。胸には研修中と樫村の名札。
彼女はイメージと違い誰よりもテキパキと仕事をこなす。まるで夕方のスーパーのよう。活気がある。何よりも「こんばんは」と目を見て言われた。この時間の挨拶には面食らう。もう言葉を発する口になっていない。喋りつかれているのだ。アルコールの少ない今日に、カゴの中身が恥ずかしくなった。唐揚げ二点とかんびーる。
ちらりと前の客を身で追った、足取り軽く店を後にするように感じた。
「仕事帰りですか?」
「えぇ・・・はい」
「遅いですね。大変ですね」
三転のレジ打ちなんてあっという間だ。
「お箸はご利用ですか?」
「いいえ。いりません。ありがとうございます」
自転車が早い。部屋はいつもと変わらずに暗い。

その日から夜が始まった。発泡酒はビールとなり、ウィスキーは一番安いのから好きなバーボンに。缶詰はやめた。チーズかナッツにする。揚げ物への欲求は止められない。オムライスの娘と違いない。それでも1パックになり、割引されてなくてもハシゴしたりはしない。「ケチャップはいらないよ」ダサいことに変わりはないのには気づいている。
端の列のレジに彼女が立っているときには「こんばんは」からはじまり、箸のことは聞かれない。「今日もおそいですね」に変わる。
帰り際の「いつもありがとうございます」は仕事ナイズすぎていささか好きではない。

自転車に乗り、唐揚げを食らう。コンビニから勢いよくフードを被った男が出てくる。ブレーキをかけると食べかけの唐揚げが飛んだ。行き先を追う。排水溝のぎりぎりで止まる。良い餌となることだろう。視線を上げると青のマウンテンパーカーの男は両手を地面と平行にして走っている。自転車のスピードを上げ、彼に並ぼうとするも、道路工事をしており、歩行者通路に誘導される。彼の両の手の羽を背中越しに見ていたら酔っぱらった。彼は次のコンビニへとその勢いのまま入っていった。コンビニでは外人が立ち読みをしており、外では街頭に照らされた職人が缶コーヒーを飲んでいる。私は樫村を考えている。次の日も、また次の日も。スーパーによるたびに考える。時折は、オムライスをみてはスーパーのことを考えたりもする。

物事には慣れが生じる。カゴの中身は元へと戻る。風邪をひきやすい彼女を知る。仕事場で飲みすぎたときには自らの中の樫村を勝手に彼女に照らし合わせ、声をかけてしまう。それでも彼女は研修中のままで、いつも笑っていて宮沢賢治のようでいて、それでいて樫村を何も知らない。わかっていることといえば、彼女がいいやつだってこと。社会主義国のおばちゃんも彼女とは談笑する。学生は彼女に恋をしている。幾らかの客も。私はそれと違いアメリを見るような気分で彼女と接しているつもりだ。他のものにとっては知らないが・・・。彼女の笑みには楽しみだけを思う。とにかくいいやつだ。深夜のスーパーで知り合いに会おうとも彼女がいれば気まずさはない。

時間外の高まりはバーの与太話に最適だ。それまでの顛末をそのテンションで話せば、誰もが食いつく。眼鏡の彼だってそうだ。二人で真剣に彼の仕事の悩み話をしたとて、異性の話にはかなわない。いつだって幻は夢を与える。そうして会話が弾めば酒も進む。彼は酩酊のまま店が終わるのを待つ。そうして二人でガールズバーへと向かう。これくらいの差があれば五分以上に渡り合える。それを相手する彼女たちにはしっかりとお礼を言う。言っているはずだ。あれだけ無礼な態度を毎度、世話してもらっているのだから、感謝の念はしっかりと伝えているはずだ。前回はキャバクラだったからよりそのはず。その帰り道には何もかもが消えていて、始まりを知らずに夜は終わる。

いつの間にか、サイクルが出来上がっている。店でほろ酔い、スーパーで少しの緊張感をもち、自転車で解放される。半袖の季節はもうすぐ終わる。

スーパーで樫村を見ない日が増えた。出勤日が減った。それでも僕の休みの前の日、日曜日には彼女は働いている。今週の終わりを知れることは有り難かった。もはや、それぐらいの存在になっていった。・・・樫村はいなくなった。

休みの日、公園でビールを飲んでいた。何の用事もない日だった。まぁ、見る映画がなかっただけ。誘われることもない。誘われても行く気はしない。そして、今日は誰も誘う気にはなれなかった。たまの夕方のビールには幸せを感じる。マウンテンパーカーの連中を子供が無邪気に追っている。何とも可愛くはない。ビールがなくなった。スーパーへと向かう。夕方のスーパーは同じに思えないくらいに人で溢れている。ビールを買うのも大変だ。いな、この時間にビールだけを買う酔っぱらいなんていてはいけないようにすら思える。気づけば人の波に流され、いつものレジとは違う列に並んでいる。ここが一番進むのが早い。何だか疲れてしまって、早くビールが飲みたいとだけ考えていた。気が付けば自分の番になっていた。
「こんにちは。今日はお休みですか?」
樫村がビールを袋に入れる。
「あっ、はい。休みです」
「だいぶ、感じが違いますね。恰好いいです」
樫村は初めて見る私服をまじまじと見る。少しだけレジが遅くなったように思える・。
「いや、疲れてないだけですよ」
小銭を手渡す。
「多いですよこれ」
彼女は手を握りかえす。
「じゃあ楽しんでくださいね」
人ごみの中、スーパーを後にする。店の前でビールを開ける。店内を振り返る。樫村はそこにいない。

スーパーの面子もだいぶ変わった。今日は新入りのババァが働いている。テキパキと仕事をこなす頑張り屋さん。胸には研修中と名札。名前は覚えられない。でも、この時間のスーパーにはそういう人材が必要だ。虚無が溢れているから。彼女はしっかりとお釣りを渡す。
『ご丁寧にありがとうございます」

バーの客も一つ楽しみを失った。おどけて「辞めちゃったよあいつ」といっても皆が求めていた顛末は他にあった模様で、不満げである。
私はというといつも来るりなちゃんが可愛く思える。両手でビールを飲む仕草にもふざけんなとは思わない。可愛いなぁとめでてやり、眼鏡とガールズバーへ行く。なんてことはない感受性が少し変わり、普段の生活に戻った。たまには彼らと飲みに行くようになった。

だっさい上着を着る季節になった。これで構わない。誰も仕事帰りの人間にそんなものはもとめていない。スーパーも衣替えが行われた。ブルーからグレーに変わった制服はそんな私でも笑ってしまった。深夜の自然な笑みには価値がある。ありがとうと酔っぱらっていたら口に出しただろう。
レジには派手な髪をした女が立っている。興味本位にそのレジに並んだ。隣のレジのイケメンはお前もかとため息をつき、小さく笑った。レジの女はカシだった。彼女は擦れた。褐色の毛は金色に近くなり、目の周りが濃いシャドウで塗られている。ガールズバーの娘よりもそれっぽく、それよりも綺麗だった。
「こんばんは。元気ですか?」
「はい。まぁ・・・」
少しとげのある話し方だった。
隣のレジのイケメンがあの頃の自分に思える。店を後に、振り返ると嫌な笑い方をする二人が見えた。馬鹿にされるのはなれていない。カシは確かに一人の女だったのだ。おじさんたちは楽しんでいる。でも、そうはなりたくなかった。人生は確かに進んでいるとふと感じた。

バーはオムライスのお店であり、バーではない。私はバーで働く必要があることを知った。常連たちに別れを告げる。
「俺、もうやめるよ。いい歳だし、最後くらいちゃんとしたとこで働くわ。楽しかったよ。この町ともバイバイ」

帰り道、クラブのマンションの前にタダアキがいる。コンビニでお茶わりを買い、隣に座る。
「お前、もう寝んなよ。寒いから風邪ひいちゃうぜ」
「やっぱお前か。缶が落ちる音で起きたよ。あの日」
あぁ実にくだらなく愉快な男だ。ダメな人間ほど一緒にいて心地よいことはない。。彼もまたきっとそう思っているものだと思い込んでいた。
マンションから一人の女が近づいてくる。
「お待たせ、あと30分で終わるよ。友達?アンタみたい。いい男だね」
そういうと彼女はマンションへと戻っていった。忘れかけていた残り香にクソみたいな二人が包まれる。
「待ってんの?」
「そう、この後寿司だ」
「この時間やってるの?」
「やってるでしょ。こういう店がある限り」
「そっか。じゃあ行くわ」
「おう。チューハイありがとう」
ありがとうが、腹立つわ。このいいやつめ。期待ない裏切りは誇りにすら感じる。酒のみじゃなきゃ考えられない偶像性を誰しもに見出す。勝ったのは現実のお前だ。
ハマチを手でこねくりまわしてはブリと化す。それを見たインド人の一人が驚き、友達は暖簾をくぐり一斉に踊りだす。店内騒然。客の一人は尺八をカバンから出し、貫井林を始める。男たちは手に持った日本酒のコップを壁へと投げつける。「やめなさい」と親父は窘めるが、女たちも真似をする。親父もその陽気につられ、踊りだす。ただ僕の連れはというと、退屈そうに頬杖をついている。その手が前後にゆやーんと何度か揺れると、顎は行き場を失って樫でできたカウンターに根っこを下ろす。そう、その価値観が根っこ。親父も根っこに戻り、喝を入れる。インド人は泣きながら外に出て、親父たちは床を履く。ブリはハマチに戻り、やがてアカシアのハチミツとなった。残り香はそんな匂いだった。夢に誘われるような・・・それでいて所在あるバナナ味のお菓子のようだった。あいつが好み、好まれるのも無理ではない。そうして、僕は肩に止まったミツバチに気づくことなく夜にもどり自転車を漕いだ。
スーパーの前には私服の樫村がいた。色がくすんだジーンズにハイカットのスニーカー。ワンサイズ大きい何のキャラクターかわからぬオーバーシャツを羽織っている。笑ってしまう。その恰好はこの時間でも浮いていて、ダサかった。携帯をカバンにしまった彼女は疲れた顔で髪の毛を下ろし、とぼとぼと歩いていく。なんてことはない。興味といえばそれだけであろう。こっそりと自転車は後を追った。
彼女はどこにも寄ることなく、家へと帰っているのであろう。住宅街に入り、人はいなくなる。街灯も減り、線路沿いでなければ、もう付けるのはやめただろう。否、終電も終わっている。僕は彼女の背中におやすみをいって、自転車を反対に向けた。
自転車を漕いでいると、遠くから悲鳴のような声が一瞬聞こえた。自転車は再び反転する。声のするほうに向かい、自転車を止める。ひっそりとガード下に潜り込んでいく。そこには使用時間を終えた駐輪場があって、置いてけぼりにされた自転車と二人の人影が見える。姿がはっきりと見えないが、長い髪の毛は樫村であろう。相手の男は刃物を持っているのが確認できる。僕はたぶん笑っていた。自転車に戻り、何食わぬ顔で自転車を漕ぐ。その数秒、刹那に何かあってもおかしくはなかったが、そんな考えは後で浮かんだ。もうすっかり英雄だった。
自転車でガード下にもぐると、今度はしっかり二人の顔がこちらを向いた。男は刃物を背中に回した。ただ、僕が通り過ぎるのを待つように、樫村は何も言わなかったが、その目で求めるものが何かはわかっている。自転車は急ハンドルを切り、その車体で男にぶつかった。手からナイフが落ちる。躊躇はない。それが一番大事だ。跪いた男の顔面へ踵を履きなおした靴で蹴りを入れた。樫村は悲鳴を上げる。その姿ははっきりと見えないはずだが鈍い音がガード下で響いた。僕は樫村に人差し指を立てる。そうして、男の顔を一つ張った。手をひねり、体を後ろでとらえた。ポケットから財布を抜き出し、免許証を抜き取る。そうして彼の耳元で精いっぱいの虚勢を張った。男は何度も頷いた。
「もう、しないってよ。帰ろ」
僕は自転車を起こし、樫村は僕の袖口をぎゅっと握った。光が彼女を照らす。
「ひどい、顔してんね」
彼女は小さく頷いた。涙でボロボロになった顔に今さらながら恐怖の大きさを知る。
「さぁ、家に帰って顔を洗うんだ。また新たな朝がやってくるよ」
樫村は名残惜しそうに最後まで僕の袖口を離そうとはしなかった。僕がそちらの手で彼女に手を振るまで。
僕は来た道を戻る。結果がどうであれ、どちらが僕だなんて分かったもんじゃない。鼻字を抑える眼鏡がこちらを見てはニヤニヤしている。何もない。そう、何もないんだ・・・。

ソファーで目を覚ます。引っ越しをした。10代から過ごした街を離れる。近い距離ではあれど、それはまるで別の出来事である。
新天地は思っていたようであり、そうでもなかったように波にのまれ、新たな生活リズムが確立される。そうなるころに街は思い出と化しかけ、その姿がうっすらと思い浮かんでくる。ある種の香りのように鼻孔の奥で燻っている。

とある、休日の夕暮れ電車に揺られる。ガラガラの車内でも座ることはなかった。窓の外を眺めていたかった。たかが数か月しか経っていないのに、人知れず高揚感に包まれていた。陽は落ちていき、車内の光で見えにくくなった景色を両手で抱え込むように窓の外にへばりついた。子供に笑われるまでずっと。
久方ぶりの街で昔の常連たちと酒を交わす。何も変わりはしない。いや、変わってなんてない。忘れていた砕けた自分をさらけ出し、大声で笑い、少しだけ居眠りをして一人になった。酔っぱらいは本能のようにスーパーへと導かれる。

主婦が自転車を警備員に出してもらう。手を放した子供が急に走り出す。後ろを走る自転車は急ハンドルを切る。向かいの自転車はブレーキをかけ、歩いていたカップルの男にぶつかる。
「いってぇな」
雨上がりの夕暮れで傘の持ち方が雑な男は周りに迷惑をかけている。それなのに自分は痛いといった。彼女は笑っている。「なんだ、これ」そんなことを考えていると眉間に皺がより、そういったチンピラシャツの男を世間は避けていく。ビールはちょうど空になった。
「髪の毛伸びましたね」
一瞬、本当に一瞬忘れていた。スーパーへのビール以外の理由を。喧噪の中に樫村が佇んでいる。スーパーの買い物袋を持って。
「あぁ、久しぶりです。髪伸びましたか?自分じゃわからないです。鏡もないもんで」
ロン毛には自覚症状がない。だらしない人間だ。きれいめなロン毛はまた別。まぁよい。そんなことは・・・そんな場合じゃない。
「だいぶ、伸びましたよ。最近来ないですね?」
「はい。引っ越したもので・・・お休みですか?」
「いま、上がりました。最近は昼に働いているんですよ。今日は終わりです。一緒ですよ」
樫村は吉村のビールを指さした。吉村は樫村のビニールを指さす。
「それ、ビール?」
「そうですよ。後は値引きされた唐揚げ」
「いいね。いっしょに飲もうよ」
「いいですよ。これ食べましょ」
「ちょっとまって。ビール買ってくる」
「これ、飲んでいいですよ」
吉村はもう一度袋を指さす。
「ありがとう、でも足りない。すぐ終わっちゃうよ」

二人は公園に行き、ベンチに座る。間に唐揚げを置き、乾杯した。箸はなく、脂ぎった指になっても二人は構わない。
陽は沈み、人々は帰路につく残ったものは歌を歌い、ジプシーの真似事をする。少しは聞いていられるが、真似事にすぎない。それは退屈の合図となり、調子よく二人は近くの焼き鳥屋に向かう。喧噪と明かりと煙に包まれ、二つ目の世界をお酒とともに共有すると、昔からの知り合いと相違ない。樫村は焼き鳥を串から外さない。
吉村は度々にいいねという。気が休める相手だと眠くなる。今日はお酒を飲みすぎた。樫村がトイレに立つ。そういえば店に入るなり、こんな汚い居酒屋でもトイレにいったな。男女のグループ交際のはしゃぎ方も今日は笑っていられる。
「あぁ、眠い」
「よく言うよ。今起きたばっかりじゃん。疲れてんの?新しいとこ向いてないんじゃない?」
「ううん。そうじゃないよ。ぼくはお酒飲むと寝るんだよ。友達と飲んでるときとかずっと寝てる。気張らなくていいから寝ちゃったんだよいまも」
「飲むのが早いんだよ」
「そうかもね。・・じゃあ、行くわ俺」
「はっ?うそでしょ。今起きたとこじゃん。のもうよ」
「いいよ、疲れちゃった。帰るわ。わがままなんだよ俺。友達になるから我慢してよ」
吉村はポケットからくしゃくしゃの札束を取り出しておいた。
「君たちは楽しんで。またね」
ふらふらと店の階段をあがる。終電までもう少し。丁度良い時間だ。
「起こせよなあいつら」
少しの回り道で駅へと向かう。途中にスーパーがある。中を覗くとレジには樫村が立っている。吉村はスーパーへ入る。蛍の光が流れている。ロング缶のビールを一本手に取り、レジへと向かう。並んでいる客はいない。樫村は少し驚いた顔をする。
「髪の毛、だいぶ伸びましたね」
「そうかもね。自分じゃわかんないけど。君が言うならそうだろね」
樫村はレジを打つ。
「袋いります?」
「いらない・・いらないです」
樫村は吉村にビールを手渡す。じっと樫村を見る吉村。
「仕事おわります?」
予想外の質問に視線を泳がす樫村。
「・・ええ。お店は終わりです。後は片付けとか・・」
「飲みに行きませんか?行きましょ」
「私とですか?」
「ほかに誰がいんの?私とです」
「まだ、終わらないですよ」
「待つ。待つから。裏のコンビニにいるよ。気が向いたらきてね。無理しなくていいから」
「あっ・・はい」
吉村はにっこり笑って店を出る。樫村は外の吉村を見る。吉村はレジを指さす。客が待っている。急いでレジを打つ樫村。吉村は笑っている。「またね」と樫村は聞こえた。

視界から樫村が消えると、吉村はビールを一気に飲み干す。そしてあたりをぐるりと一周してコンビニへ立ち寄る。スーパーの時計から15分が経っている。トイレを借りる。そうしてあたりをもう一周。これで30分。そろそろかと・・。さっきと同じビールと缶チューハイを一本買い、店外へ。体内で時間を測る。時計を見ることしない携帯をいじるなんて以ての外だし、店内で待つのも恰好が悪い。だらしない人間だからこそスマートさには気を遣う。
1分、1分が長い。しゃんとしていると腰が痛む。それでも一瞬、樫村が吉村を見つける一瞬には待ち人の佇まいが必要である。
それは樫村もおんなしで、自転車を奥ゆかしくおしてコンビニへとやってくる。吉村は視界の奥で確認をしている。それでも憂い帯びた表情で物思いに更けてる様を樫村に伝える必要があり、樫村にはそれが伝わる。車輪の音が聞こえる距離になると視線を持ち上げにっこりと笑った。
樫村はゆったりとしたシルエットのズボンに、わけのわからぬキャラクターのtシャツ。髪の毛は結ったまま。まさにコンビニファッションだ。派手な樫村は虚像が生んだまぼろしか・・・。
「すみません。着替えたかったんですけど待たせるのもどうかなと思い・・・変ですよね。この恰好。家に帰るだけだったから今日」
「大丈夫、大丈夫だよ。何となく知ってるから」
「へ?」
「何そのこえ?どっかから出た?」
「いや、だって知ってるとかいうから」
「だから、なんとなくだって。いいや、のも。飲みたかったんだよビール」
樫村は自転車のスタンドをあげて、缶チューハイを受け取る。
「乾杯」
吉村はビールをあおる。樫村は少しのむ。
「おぉ、一気にのみますね」
「飲みたかったんだって。ビールがよかった?」
「まぁ、よくを言えばですけど」
「こっちのみなよ」
飲み物を交換する。
「もう、半分ないじゃないですか?」
「ごめんよ。そこの焼き鳥屋行こ。三時までやってんの。昔、裏のほうにあってね。旨い焼き鳥屋だったんだ。おじさんが他の駅行っちゃって辞めちゃったんだけど、そこで働いてた人がやってんだってね。・・・うるせぇよな俺」
「いいえ。私も気になってたんで」
「ちょうどよかった。じゃあ行こう。樫村は自転車をひいて、二本を吉村は飲み切った。店に入る前に缶を捨てた。階段を上がり、樫村を奥に座らせる。生ビールを2杯と串の盛り合わせを注文した。再び乾杯。盛り合わせが8本。別々の部位だが、何が何だかは二人はわからない。
「好きなの食べな」
「串ごといっていいですか?」
吉村は少し声を大きく「いいよ」と言った。
吉村は誰にも言えなかった内なる樫村を樫村に語る。ひとしきりのオデッセイだ。それは叙事詩であり、変えるべきとこに帰った。冗談めいた夢は今なら笑って話せるが、明日には人生観を考えることとなる。そんなことには二人は気づかない。ただ食らい、ただ飲む。樫村は「それでそれで」と続きを欲する。吉村は伝道師のように忠実に物語を忠実に伝える。何人目かで改変されようとも偽りない。気持ちがあるから。
物語が焼き鳥屋にたどり着くころ、店員がラストオーダーを尋ねてきた。吉村は丁重に断り、会計をお願いした。その瞬間、二人ともに考え事に馳せただけなのだが、その2,3秒は二人を現実の時に戻すには十分だった。目が合うと少し照れた。
「いこうか」
「そうだね」
吉村は樫村の自転車を押す。
「こっちでいいの?」
「うん」
暗闇は人を無邪気にも静粛にもする。ここにはそのどちらもがあった。
「酔っぱらったな」
「酔っぱらったね」
吉村はゴミ置き場に捨てられたカラーボールを拾い、自転車の後輪にはめた。
「やめてよ」
樫村は笑い、ボールを外そうとする。
「いいじゃん、恰好いいべ。皆、やってたよ」
「今はいないよ」
「いじわるだね」
「なんで?」
「明日、ボール見たら思い出すでしょ?」
「なくても思い出すよ。数時間だよ。まだいるし」
「うるせ。はーあ、ねみぃな」
「そうだね。どうすんの?」
「あん?寝る。見送ったらどっかで寝る」
「もう着くよ」
「あぁ、そう。寂しいね」
「なに?」
「・・なに?」
「なにでもねぇ」
「・・・おもしろいこと言うね君。頭真っ白になった。一瞬」
「寝るかい?眠いでしょ?」
「・・・いいの?すごい眠いよ。やさしいな君は・・・。いやでも、そんなつもりじゃ・・いや、いやいーや。ありがとう。寝かせてください。フローリングは好きですよ。
「うるさいなぁ」
「うん?」
「恰好こんなだけど家は綺麗だよ。今朝もMAKITの掃除機でブイーンですよ。
「すばらし。言葉悪いけどなんでもいい。高速バスでもぐっすり眠れるから・・・。チビの特権」
樫村がとまり、自転車も止まる。オレンジ色のボールは三食のラインが入ったボールに戻る。吉村はボールを外す。
「これ、壁あてしていい?」
「殺すよ」息をころして樫村はいう。そうして、二人は家へと入る、。殺風景な部屋だが、空きっぱなしのクローゼットにはいかれた服がかかってる。
慣れぬ場所で星座をかいていた、。フィッシュマンズを聞かせると、二人で一つのソファーにいることとなる。曲が終わり、互いをつなぐイヤホンは何の意味も持たないが、互いに話すことはなかった。樫村はおもむろにそれを投げ、吉村の耳からも外れた。次の曲が流れているがふたりとも知らない。間接照明の仕業か。樫村は首を吉村の肩に預ける。吉村は最後の一息を灰に流し込み、煙草の火を消す。ぎりぎりまで左手を伸ばし、右肩は動かさない。数秒の沈黙ののち、肩にかけた樫村の顔を吉村はゆっくりとみる。
「やばい、欲情した」
二人は唇を重ねる。そのままベッドに移動する。吉村はそれは彼女をいたわり、マッサージをするように樫村を愛撫する。
樫村は満たされていく。吉村に触れられるほどに、自分の体を知っていく。恥じらいは消え、全てに身を任せる。昔、映画で見た大きなプールに浮き輪で漂う少女のように、ただ身を任せる。二人は無意識にそれぞれ時計を見た。デジタルの判断力。これは確かなこと。AM3:00.二人は結ばれた。
それから3時間。アルコールが少し抜けた。吉村は目を覚ます。青白い部屋の天井にはアラベスク模様があった。ちらりと陽の入るカーテンを見ると、まるで樫村の恰好で小さく笑った。とても丁度良い肌寒い朝だった。
仰向けの吉村に寄り添うように半身の樫村が隣にはいる。そちらを見ていると、まるで起きていてタイミングを計ったように樫村は目を開ける。そして、精いっぱいの「おはよう」をまるで口ずさむようにいった。
夜は終わり確かに朝であった。あくる日も二人は二人で迎えた。吉村は樫村を強く抱きしめる。朝立ちなんて構わない。樫村もそれに答えるように吉村を抱きしめる。
二人は欲情に任せるように強く抱き合う。まるでアメリカ映画で、叶わぬ恋人の夢が叶ったように本能的に強く強く体を重ねた。互いの吐息が壁を越えようとも、二人の意志の強さにはモラルは吹き飛んだ。
部屋は陽に包まれる。樫村はシャワーを浴びている。吉村は音のほうをぼーっと見て、煙草を吸う。かわりばんこで今度は吉村がシャワーを浴びる。部屋を出れば互いの生活がある。今は夢なのか、それとも続くべく現実なのか・・。はっきりとした頭になった吉村の煩悩は泡とともに排水溝に消える。
体をふき、パンツとタンクトップで部屋に戻る。小さなテーブルには食事とコーヒーポット。丸い白い皿に、スクランブルエッグとグリーンリーフのサラダ。ウィンナーが二本と、薄く切られたバゲットが添えられている。
「イングリッシュブレックファースト!」
「うるさいよ」
「いあや、だって朝ごはんなんて普段食べないし、洒落てるし、テンション上がっちゃって」
「私もそんなに食べないよ。あって、昼食。それより髪びしょびしょ」
ソファーに座った吉村の髪をタオルで拭いてあげる樫村。
「オレンジジュースと牛乳もあるよ」
「まじか?やばいなお前」
「でしょ?覚えてないんでしょ。昨日言ってたよ朝のあこがれを」
「・・うん。覚えてない。買ってきたの?」
「いいえ。ごあいにく。あるもので用意しましたよ。昨日はぐっすり眠れましたか?お客様」
「やめろ、バカ」
「バカ、言うなばか」
樫村は吉村の隣に座る。吉村は樫村のコップにコーヒーを注ぐ。
「洒落てんな?」
「洒落てんのう。一人じゃできないよ」
「そうだな。一人じゃできないけど、これもあたりまえだよね」
「そうかもね」
二人は気取ってナイフとフォークで食事をする。ナイフは一本しかなかった。
「バターは?マーマレードは?」
「うるさいよ。ないよ」
「買っていい?」
「いいよ」
「じゃあ、明日も朝ごはん食べようね」
二人はにやにやしながらテレビに文句を言い、ご飯を食べた。吉村は後片付けをしてズボンをはいた。樫村は「いってらっしゃい」を言う。吉村は「またね」といい、
部屋を出た。樫村には愛が生まれ、それは吉村のミネラルを補う。

吉村は久々にチーズ屋さんにより、肉屋でシャルキュトリーを買う。ワインやでデイリーワインを買う。どこでも「ひさしぶりだね」と言われた。来るべく本来の生活は誰かによって持たされる。吉村は小さく「愛してる」とつぶやいた。