HETEROCHROMIA
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戯言.

何もかもをも覚えていると、やがて頭はパンクする

見た目でわかれば気がふれて楽なのだが・・・それはひび割れからタールがこぼれて行くように鈍く蝕んでいく
誰も彼にも足りなくなり、その為に夜が来る

昔、隣に住むババァが戯言のように繰り返し咳をしていた。いつ死んでもおかしくなかったが、彼女はその調子で生き続けた
あれから20年。ババァの半分の齢になった

仕事帰りにスーパーの割引の惣菜を買う。昨日もそうであったように今日も買う。だが、何かが違う。値段云々でなく、味が違う。スーパーのオペレーションで作られているであろう物の味が違うのだ。それは違和感にすぎないのだが。
一つ思い出した。法螺ばかり吹く気のいい酔っ払いの話を。
彼は昔、ウチの近所に暮らしていた。近くには一つしかないチェーン店のスーパーがあった。
「あの坂を下ったところにスーパーあるでしょ?あそこの惣菜は格別に旨いよねぇ」
惣菜の良し悪しなぞ考えたことがなかった。また、感じられる同世代の酔っ払いの感覚には法螺はなかった。少なからず感銘を受けたのだ。
クズに一目置かれるクズに憧れていた事実を手に持ったカラアゲを持って知ることとなった。

ババァのことはタラタラとこぼれ掛けたが、夜がそれを防いだ。それでも消えかけている。ババァの顔は思い出せない。そうだろう?ババァは誰のこともおぼえちゃいないし、この時に思い出されるあの時を生きていたとは考えていない。それに、ババァは昼も夜も咳をしていた。咳をしていた事実は楽しい一時にもなる。それが事実だ。
思えば もうだいぶ夜だから仕方あるまい
彼女は幾とおりにでも存在す