人は夢を見る。晩年の夢は違う人の現象だ。
その懺悔、対象が自分でないならば自責の念は強くなる。
男が六十を過ぎ床に伏したとき、残りの人生を考えた。二本の足で生きてきたものならば必然であった。
無力を知るほどに何かを残そうとする、種の本能じみた悲しいいい訳である。愚かなり、涙はもう忘れてしまっている。
二十ほど違う妻はいまだに美しく穢れなきまま年をとり、今こうして無垢なまま献身的な看病をす。
男は妻が頭を下げて耳元でそっとささやく度に愛に泣けてきた。表情さえも変えられない。無常に非常で「もういいよ」と心折れる所存である。
その日、妻は察した。いまだ年端も行かぬ娘を部屋に戻した。
妻は耳元に顔をよせて囁く。
「何を泣いているんですか?」
「・・・ごめん。ごめんな。こんな人生でごめんな」
「何を言うんです。娘と三人、素晴らしい人生ですよ
妻は最近では、娘と話すときにもこんな調子だ。おっとりものに育ってしまう。
「けど、それだけだ」
「それ以外に何がいるんです?」
「お前がもう少しでも汚れていたら、人生はもっともっと美しかったよ。出会ったころを覚えているかい?」
「・・はい。私はまだ学生でなんにも知らず人生を教えてくれたのはあなたでした」
「違うんだよ。私は今とおんなしでただぼみすぼらしい男だったよ。何にも考えていなかった。何もなく、ただ歩くことしかできなかった。与えられることしかできなかったんだ。そんなときにお前を見つけたんだ。こんな美しい娘をものに出来たら、人生が変わるんじゃないかって?歳の分だけは大人だった。お前は何にも知らない。そうして、私の隣にいてくれるのだ。変わったのは私だ。お前がいて、お前と私、そうして娘を養えるようになったんだ」
「それでいいんですよ。私もそうですよ。隣にはあなたがいます」
「違う、違うんだ。あのころでお前の倍の年齢だ。学生を誑し込むなんて容易いと思った。それを継続させることも・・。私は老いをその時にしっていた。この瞬間をあのころに想像していたんだ。なのに、なのにだ。私は愚かな光源氏」
「?」
「であいが違えば君は高嶺の花だった。間違っているんだ。舞踏会で花をもらえる人生もあったんだよ。せめて私が芸術家だったら、君は偉大なミューズになれたのに。だから、泣いているんだよ」
「私の為に泣いているんですね」
「あぁ、君の為だ。この涙の意味が分かる時、この涙は止まるんだ。そうしておくれ。でなければ、罪は贖えない。それほど切ないんだ。美しいひとよ」
「あなたは終わり、私は進めというんですね」
「そうだ、どうにか終わりにしてくれ」
「勝手なひとですね。もう少し泣いてもらいます」
「こんなにも苦しいのに?」
「そうです。あと幾年かかろうが泣いていてもらいます。私を見るたび、苦しみ泣いてください。それがあなたの贖罪です」
妻は消え、男は浄化される。人生はもう少しだけ色味を帯びた。